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東北・陸前高田に行ってきました。

9月15日~9月17日、ぱれっとのボランティアメンバーと陸前高田に行ってきました。 今回の旅は、東北の今を知り、東北と関わる切り口を自分なりに整理することです。 7月に行われた、ソーシャルビジネスネットワークの東北復興ギャザリングではじめて訪れた陸前高田。 あまりの衝撃に東京へ帰ってきたその日にシェアメイトの稲沢さんと、たまたま一緒に飲んでいた田口さんに一緒に東北行きませんか? と声をかけたがはじまりだった。 (あのときお酒を飲んで帰ってきて、勢いがあってよかった。。) 同じく7月の東北復興ギャザリングで出会った陸前高田市に住む方々にコーディネートしてもらい多くの陸前高田市民の方々から生の声を聞く機会をつくって頂きました。 福祉作業所きらり 作業所の他に運営されている障害者支援施設「ひかみの園」は 昭和 53 年に開設と記載されており、非常に歴史の深い法人であるとのことです。 本日は休みであったけれど、たまたま出勤されていた男性の方に案内してもらいました。 農業の6次産業化を目指す村上一憲さんのお手伝い 地域農業の復興を目指して 米粉麺 を生産されています。 岩手特産のにたきこまトマトを使ったジャムづくり を行う 北条功さんのお手伝い @めぐ美 めぐ美の前で集合写真 めぐ美のお焼きは最上級の母の味 つくっている気持ちの良く 素敵な方々です。 東京と陸前高田を往復しながら復興プロジェクトを進める SAVE TAKATA の佐々木社長と話をさせて頂きました。 今後の東京と東北をつなぐためのヒントをたくさんもらいました。 コミュニティカフェ「陸カフェ」 陸カフェ内でいこっとの説明をする稲沢さん 番外編 3日目に泊まった松島で素敵な地元の方々と話をする なぜここまでよそ者である自分たちを快く迎えてくれるのか 不思議です・・・感謝しないと。。 ■陸前高田に引き継がれる思い 今まで守り続けてきたものがあって、伝え続けてきたことがある。津波で家や商店は流されてしまったけれど、受け継がれている強い思いがある。 聞かせてもらった震災後の事実はあまりにも重くて、言葉が出なくなることも。震災後におきたことは、そんな簡単によそ者に話...

東北の人と仕事と暮らし

東北から日本の未来を考える。 7月14日,15日と東北復興ギャザリングに参加して、東北の魅力を感じてから東北関連の情報にアンテナをはっている。陸前高田で感じた何か、東北に関わっていきたいと考えるようになったのは何だったのかということを一つ一つの情報に触れながら考えている。 今までの東北情報を少し整理してみようと思ったので、この1ヶ月特に印象深かったコンテンツをご紹介します。テーマは「東北の人と仕事」 1.おかみのさんま 気仙沼を生き抜く 夏期休暇最終日、仕事の準備をするためにアカデミーヒルズへ行く。 そのときに偶然手にとったのがこの本。 おかみのさんま 気仙沼を生き抜く魚問屋3代目・斉藤和枝の記録 先月に参加した東北復興ギャザリングで、著者の斉藤さんのお話を直接聞く機会があった。震災後の経験には「うまく言い表すことはできないが、決して忘れてはいけない大切なもの」があったと仰っていました。 その言葉が印象的で、本の裏表紙を見た時に、あっ!と思い、一気に読んでみました。 おかみのさんま 気仙沼を生き抜く魚問屋3代目・斉藤和枝の記録 (日経WOMAN選書) 斉藤和枝 日経BP社 発売日:2012-03-22 ブクログでレビューを見る» 震災時の心境や復興に向き合う姿勢からも気付かされることが多かったが 何より斉藤さんの仕事観からの学びが大きかった。 最後の章に斉藤さんが大切にしている10の言葉が載っている。 その中にあった2つの言葉が印象的。 「斉吉は実業です。だから、社員は家族です。」 「この道より我を生かす道なし この道を行く」 斉藤さんの仕事には覚悟がある。 仕事は生きることに直結していて、暮らしをつくり、文化を守っていくもの。 震災関連の書籍としてだけではなく、仕事の価値観を問いなおす1冊として 非常におすすめ。 2.オイカワデニム デニムと日本のモノづくり リーバイスのOEM取扱時には全世界の工場中、最高と認定された高い技術を持っており、2009年から独自ブランドでの世界展開を行っているとのこと。 「デニムは人生に似ている。一度失敗してもくじけても、その都度強く立ち上がればいい。」そう講演で語った及川さん。津波で流され、40日後に...

家族からの「友達」申請

夏休み期間4日目はゆっくり実家で過ごすことに。 帰省した日立に財布を忘れてきてしまっていて、実家の住所に郵送してもらっているので、それを待つために予定より1日長く新百合ヶ丘に滞在。 午前中は、母親がTwitterをはじめるということで、あれこれと教える。 タブレットPCを使い、ブログも書いている母親だが、Twitterの仕組みを理解してアカウントが完成するまで1時間強かかる。 (プロフィール写真が更新できず、わーわー言っていたが、そこに関してはTwitterのシステムトラブルが起きていたため、どうやら機械のせいであるらしい。) とりあえず息子のアカウントだけをフォロー。 家族間でソーシャルメディアを活用するって発想はなかったなと思い、兄にFacebookの友達申請を出してみる。未だに許可がおりない。 家族にいちいち、自分の行動を把握されるのは煩わしさもあるなと感じる部分もありますが、一般的にはどのように感じるものなのでしょうか? 友達や家族とのコミュニケーションのとり方も、デバイス、メディアの進化によって大きく変わっていく。 年代別のソーシャルメディア利用率に関して テレビネイティブとデジタルネイティブとソーシャルネイティブ  引用:「デジタルネイティブ」から「ソーシャルネイティブ」へ http://ascii.jp/elem/000/000/590/590773/index-2.html 僕の世代はデジタルネイティブと呼ばれていて、小学生のときから携帯電話があってパソコンもリビングに1台パソコンがありました。初めて携帯をもったのは中学2年のときに塾へ通い始めたときくらいだったかなと思い出す。 ソーシャルネイティブと呼ばれる世代は、ソーシャルメディアを使うことが当たり前で、メールや電話をするのと同じようにFacebookやTwitterでコミュニケーションをとるのだとうか。 それでは、その世代にとっては家族とのコミュニケーションはどのように行われているのかが気になります。 とりあえず、兄からの友達申請がおりるのを待ってみよう。

お盆の田舎事情

父の実家である日立を訪れる。 今年で高校3年生となった甲子園球児の従兄弟が187cmとかなり大きくなってる。 また、今年で82歳になるお婆ちゃんにも久しぶりに会う。 膝と腰が悪いため、寝たきりに近くなっているけど、まだまだ元気。 テレビでやっている甲子園が第94回であることをみて、あと6年で100回とカウントダウンをしている。 どうでもいいことだが、お盆の時期の日立の会話は都会にはないコンテンツが盛りだくさんで聞いていて楽しかった。その一幕。 お盆の時期は、明日はだれが何時にきて、という話を伯父さんと従兄弟がしている。 詳しく聞いてみると、亡くなったあとの1年間は、親族だけではなく、町内会の人たちもお線香をやりにくるらしい。 都会で育った母親は、それを聞いて、来てもらったからには その分、こちらも同じことをしないといけないんだよねと。 叔父さんは、「そうお互いさま」なんだよと軽く答える。 お盆には先祖を招くだけではなく、ご近所、親戚を招く習慣が残っている。 たぶん、近所の人との会話の中には、お祖父ちゃんも登場するんだろうなとかってに想像する。 夕食後に神林さんという目の前で農家をやっている方からもらった黄色いスイカを頂く。一輪車にたくさんのスイカを載せて近所の方に配っているという。 身近な人がたくさん登場する会話を軽く相槌をうちながら聞いていたら、不思議と楽しくなってしまった。 まったりとしたお盆休みを過ごしています。 暑そうに店番をする柴犬 そういえば従兄弟の家で飼っていた犬も柴犬だったな。

正論を伝えるコピー「つまらん」

お盆で実家に帰ってみたはものの 両親はオリンピックをみていて、自分は暇だったもので、オリンピックだけではつまらん 新百合ケ丘OPAの中に入っているブックオフでこの本を購入してきて読む。 広告コピーってこう書くんだ!読本 谷山雅計 宣伝会議 発売日:2007-09-15 ブクログでレビューを見る» 著者は、新潮文庫「Yonda?」、資生堂「日本の女性は、美しい。」日本テレビ「日テレ営業中」などの有名コピーを手がけた谷山雅計さん。 一晩で100本コピーを書く方法。 「描写」じゃない「解決」なんだ。 他人の気持ちをカッコつきでわかってあげる。 みんなが言いたいことを言わせてあげる。 などなど、言葉でヒトの気持ち揺さぶるためには、こういう意識でコピーをつくるのか とハッと気づかされるヒントがたくさん。 特におもしろかったのは〈正論こそサービス精神をもって語ろう。〉 社会の課題を解決するために、人の可能性を引き出すために といった正論に自分が酔ってしまいがち。 伝えることではなく、伝わることが大切なのに。 しかし、いくらその中身が正しいことでも、上からものを言うような姿勢では、聞いた人の気持ちは動かないし、そもそも反発を食らうでしょうと。 だから、「正しいからこそ工夫する」 そのヒントとして2つの例があげられていました。 水性キンチョールのCM http://www.youtube.com/watch?v=g0w_-e-caBw&feature=related どうしてキンチョールが水性になったのかとの問いに答えた岸部一徳さんの「それは地球のことを考えて空気を汚さないように・・・」という言葉に、大滝秀治さんが「つまらん!」と言ってのける! この「つまらん!」という、少し思い切ったギャグのようなひとことがあるからこそ環境にいいということが説教くさくなったり、押しつけがましくなったりせずに伝わるわけです。 もう一つ生茶とエコを掛け合わせたコピー「ペコロジー」 伝えたいことがあるからこそ、遊び心をもってコピーを書くこと。 Ready for や キャンプファイヤー でコピーを書く際も意識していきたい。 あとこの本も合わせて買ってきました。(結構暇しています...

懐かしく、ホッとする感覚

実家へ帰省する前に日本民芸館で開催されていた 作陶100年記念 バーナード・リーチ展へ足を運んできました。 http://www.mingeikan.or.jp/events/ 民藝については、朝日新聞の〈いまを生きる民芸〉という記事にわかりやすくまとめられていて、民藝とデザインについて考えさせられる文章でした。 〈いまを生きる民芸 上〉 手仕事の美、支持再び http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200911160131.html 〈いまを生きる民芸 下〉 「用の美」デザインと共鳴 http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200911170201.html 民芸という言葉が生まれて120周年ということで、一種の民芸ブームが巻き起こっているように思います。 例えば有名なアパレルメーカーbeamsも民藝をセレクト商品の一つとして扱ってますね。 http://www.beams.co.jp/recommended/mens/fennica---.html 無印良品も 始めるとき、近親性のあるものとして民芸を意識したデザインがされていることは有名。 民芸という言葉の生みの親は思想家の柳宗悦(やなぎ・むねよし)(1889~1961)ら。手仕事で作られた日用の食器や雑貨に美を見いだし、「民衆的工芸品」と名付けたことが始まりらしい。 なぜ民藝に惹かれるのだろう、と考えてみた。 民藝は「懐かしく、ホッとする感覚」がある。 当たり前のようにそこにあって、とくに目立つやつではないけれど、なんとなく安心感がある・・・お婆ちゃんのようなイメージ。 民藝品を触ると、作り手の姿を想像し、その地域や自然に思いを馳せ、どこか懐かしい気分になる。懐かしくホッとする感覚が得られる感覚があります。 手仕事に美しさを感じるのは、作り手のライフストーリーを理解できるから。 また用の美という言葉にあるように、モノが使い手の生活の中にとけ込んでいき、生活とともにモノと自分の関係性が変化していくのを感じられるから。 日本民芸館の新館長に就任した深澤直人さんの以下の言葉には大きく共感する。 「特別で刺...

仕事で企画ができること

8月10日〜15日まで会社は夏期休暇。社会人2年目も3分の1が経過。 役職が変わり、部下ができ、営業としての設定目標が変わり・・ とにかく変化が激しかった4ヶ月だった。。 さて、振り返りを含めて最近仕事で感じている企画することの楽しさについて。 企画の楽しさを感じられるようになった・・・というよりは仕事で企画ができるようになったと言った方が正しいかな。 その理由は会社に元電通で働いていた方が同じチームに入ってきてくれたから。 その人の人脈、ノウハウを活かして提案の幅が広がり、今までできなかった紙媒体やPRを絡ませた企画ができるようになった。 毎月毎月組織体制が変わる会社の仕組みには戸惑いを感じることもありながら 今回ばかりは本当に感謝です。 僕の仕事はWEB広告、その中でもリスティング広告と呼ばれる商材をメインで扱っています。Google、Yahoo!で検索した際に上だったり、右側に出ている広告がそれです。 広告関係の仕事と聞くと、クリエイティブで華々しいイメージをもたれる方もいらっしゃるかもしれませんが、そんなことはありません。 電話で営業をして、提案の機会をもらって、他の会社で運用している広告を、さらに効果を高めるので切り替えてください!というのが営業スタイル。 そうは思いたくなかったけれども、今までの仕事は、営業力ありき、商材ありきの仕事。 もちろん、今までもビジネスモデルを理解して、クリエイティブな提案をしようという思いはもっていましたが、どこかやりたい仕事とのギャップがありました。 やりたかったのは企画。 ずっとクリエイティブな仕事がしたい!と思っていたけれど、できていなかった。 それが周りの環境の変化によってクリエイティブな仕事ができるようになった(正確にはクリエイティブな仕事をできる可能性が広がった) 僕の中でクリエイティブな仕事は ・既存の枠組みに捉われない発想ができること ・より多くの人を巻き込める企画ができること 今はこの2つが満たされるような仕事が少しずつできてきている。 例えば、渋谷の町全体を巻き込んだプロモーション企画を考えようと話になっていたりと・・・急にスケールが大きくなった。 企画の楽しさを、どこまで質の高いアウトプットにつなげることができるかが...