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5月, 2012の投稿を表示しています

「信じられるデザイン」展

ミッドタウンのデザインハブで行われている、「信じられるデザイン」展へ足を運ぶ。 「何を信じて、一日を生きていますか。」というコピーに惹かれる。 会場内は、51名のデザイナーが考える信じられるデザインが、エッセイ風、スケッチで表現されている。 デザイナーごとに「信じられるデザイン」に対する考え方が違って面白い。    ・作り手の視点 ・使う側の視点 ・会社の視点  ・社会の視点 特に印象に残ったコトバをご紹介  後方互換性を常に意識する作り手が生み出すもの。 使う側の慣れ、これまでの経験、歴史、大切にしているもの等、抽象的な内容も含める。 日本全体のムードとマッチし、共感を生みだし広く拡散した 「 祝!九州 | 祝!九州縦断ウェーブ 」のプロモーションを企画した 甲斐健太郎さんのコトバ。 バイラルマーケティング、拡散することを第一目的としたプロモーションは行き詰まる。 ユーザーの心、社会の流れに寄り添い、向き合った上で、コンテンツを企画していくことが、拡散の前段階としてあるのではないだろうか。 デザインの基本、仕事の基本は「相手を想うこと」「目の前の人や事象とと真摯に向き合うこと」 自分の仕事を振り返る。 専門家としてではなく、真っ白な状態で向き合う。時には経営者の立場で、時にはエンドユーザーの立場で、時には将来の顧客の立場で考える。 先入観を入れずに相手と向き合い、丁寧な仕事をしていきたい。 

武相荘を訪れる ディシプリン(規律)ではなく、常にプリンシパル(原則)とコモンセンス(良識)を大切にする生き方に学ぶ。

小田急線鶴川駅から徒歩15分ほど武合相を訪れる。 武合相は、白州次郎と正子の旧邸。 ディシプリン(規律)ではなく、常にプリンシパル(原則)とコモンセンス(良識)を大切にする生き方に学ぶ。 白州次郎は戦争が始まり鶴川に引っ越して、田舎暮らしをはじめた。日本が戦争に負け、食料難に落ち入ることを予測してのことだったらしい。戦後は、吉田茂の側近としてGHQ と渡り合い、「 従順ならざる唯一の日本人 」と言わしめたことで有名である。 「カントリー・ジェントルマン」=田舎紳士として、地方に住み、農業に精を出しながら、中央の政権に目を光らせる。政権を離れてからは、東北電力の会長に就任し、軽井沢ゴルフ倶楽部の会長として働く。 学生時代はケンブリッジに留学して、英国流の思想を身に付け、留学時代の語学力を活かして内閣総理大輪のブレーンとして働いてしまうような、一言で表すとものすごい人。 17歳で高級車を親からプレゼントされて、乗り回してしまうような人ですから・・・ 個人的には、文化活動に従事した白州正子さんも好きなのですが、 白州次郎さんから、日本人として、男として学べることを考えてみる。 ◆プリンシパルをもって生きる ディシプリン(規律)ではなく、常にプリンシパル(原則)とコモンセンス(良識)を大切にする 亡くなる5年前に書いた遺言書にはこんなことが書いてあった。 ・葬式無用 ・戒名不要 このダンディーな男は、死ぬまで自分の生き方を貫いた人。 自分らしくありたい・・・とは誰もが口にすること。 ただ、自分らしくあることは、覚悟が必要であり、そんなに簡単ではない。 ◆モノへのこだわり 車へのこだわりをもっていたことは有名です。 また、車だけではなく、お洒落だったそうです。 武相荘に置かれているモノは妻の正子さんのモノもあるだろうけど、一つ一つがこだわりがある。 ちなみに、農業をやりつつ、趣味は大工だったそうです。 お洒落もカスタムあっての着崩しで、白州にとっては服装も車と同じで、単なる道具ではなく、生き様を投影した生活の大事なパーツだったのだ。   人にどう見られるかではなく、ファッションも車も自分の生き様を表現する手段。 武相荘を訪れると、生活の空間には緊張感

スティーブ・ジョブズ スタンフォード大学感動スピーチ 〜イノベーションのヒント〜

何百回と見てきたこの動画 仕事に取り組む姿勢見つめ直すために 人生と向き合うために 全訳 I am honored to be with you today at your commencement from one of the finest universities in the world. I never graduated from college. Truth be told, this is the closest I've ever gotten to a college graduation. Today I want to tell you three stories from my life. That's it. No big deal. Just three stories. The first story is about connecting the dots. I dropped out of Reed College after the first 6 months, but then stayed around as a drop-in for another 18 months or so before I really quit. So why did I drop out? It started before I was born. My biological mother was a young, unwed college graduate student, and she decided to put me up for adoption. She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife. Except that when I popped out they decided at the last minute that they really wanted a girl. So my parents,

Googleの創業者、ラリー・ペイジによるミシガン大学のスピーチ

仕事は世界を変える気持ちでワクワクと。 でも、一番大切なのは家族。 Google創設の裏にある家族との関係性や物語。 僕にとってはジョブズに続く、いつも聞き返したいスピーチ。 [全訳] Class of 2009! First I’d like you to get up, wave and cheer your supportive family and friends! Show your love! It is a great honor for me to be here today. Now wait a second. I know: that’s such a cliché. You’re thinking: every graduation speaker says that – It’s a great honor. But, in my case, it really is so deeply true – being here is more special and more personal for me than most of you know. I’d like to tell you why. 今日、この場にいられることは、私にとって大変光栄なことです。いや、ちょっと待ってください。いまの台詞は確かに月並みすぎます。皆さんも思ったでしょう。卒業式のスピーカーというのは、決まって「大変光栄なことです」と言うものだと。でも私の場合は、本当に心からそう思っているのです。私にとってこの場にいることは、皆さんの大半が考える以上に、特別で個人的な意味のあることなのです。 その理由をおお話しましょう。 A long time ago, in the cold September of 1962, there was a Steven’s co-op at this very university. That co-op had a kitchen with a ceiling that had been cleaned by student volunteers e very decade or so.   Picture a college girl named Gloria, climbing up

若きスティーブ・ジョブズに学ぶプレゼンテーション能力と英語 1983 Apple Keynote ジョブズのスピーチとCM「1984」

1983 Apple Keynote ジョブズのスピーチ(字幕付き)とCM「1984」 学習時間(15分) ・プレゼンテーションスキル ・英語(日本語字幕付き) Macintosh発売前年の1983年に行われたスティーブ・ジョブズのスピーチ。 歴史的なスピーチの後、広告史に残る「1984」が流れます。 当時ジョブズは28歳です。 [全訳] “It is 1958. IBM passes up the chance to buy a young, fledgling company that has just invented a new technology called xerography. Two years later, Xerox is born, and IBM has been kicking itself ever since. 1958年、IBMは、 ゼログラフィ と呼ばれる新技術を発明した創業したての若い会社を買収する機会を逃した。 その2年後にゼロックスは誕生し、それ以来ずっとIBMはそのことで自らを苦しめていくことになる。 It is ten years later, the late ’60s. Digital Equipment Corporation and others invent the minicomputer. IBM dismisses the minicomputer as too small to do serious computing and, therefore, unimportant to its business. DEC grows to become a multi-hundred-million dollar corporation before IBM finally enters the minicomputer market. その10年後(60年代後半)、DEC(Digital Equipment Corporation)と他はミニコンピュータを発明します。 ところがIBMは実用的コンピューティングをするにはあまりに小さく、したがって重要なビジネスでないと判断し、ミニコンピュータ市場には参入しなかっ た。その後DECは成長し、IBMが最終