白金アンテナでお寺と関わり、4月から「いこっと」というコレクティブハウスで暮らすことが決まった。
お寺を地域に開くことと、コレクティブハウスのコモンスペースを地域に開くことはプライベート空間だと考えられているものを公に開いていく。つまり家、私有から地域、公共のものへ。この考え方に共通しているものがあると考えている。
お寺の取り組みもいこっとの取り組みどちらも新しいコミュニティをつくるという動き
コレクティブハウスを考えるときに江戸時代の長屋が例えに出されるように、昔は私有と公共って境界が曖昧であったのではないだろうか。
現代は縁は切れていくばかりで自然に生まれにくくなっている。
人と人、人と自然といった様々なつながりが分断されている
今までは「縁」は自然発生的に生まれていたけど、これからは意図的につくっていくことが求められるのだと思う
つながりをつくるということを考える際にソーシャルネットワークの考え方が参考になる
ソーシャルネットワークが縁を結ぶコストを劇的に下げてしまった。運動に必要な社会は、運動しながら作れるという状況が現実になったのだ。
http://livedoor.blogimg.jp/dankogai/imgs/5/4/5436c428.png
そこで求められるのは、リーダーではなく「シーダー」
シーダーとは社会を変えるための種を巻き、ムーブメント、運動を起こすことのできる人という解釈でいいのかな・・・
こうやって意図的に縁を作り出し(このブログでは瞬縁と呼ばれている)、コミュニティを再生するような動きが大切になってくる
ちょっとずれてきたかもしれないけど最近考えていることと4月から考えていきたいテーマ
どうやって多様な人が集まる新しい形のコミュニティをつくることができるか
お寺を地域に開くことと、コレクティブハウスのコモンスペースを地域に開くことはプライベート空間だと考えられているものを公に開いていく。つまり家、私有から地域、公共のものへ。この考え方に共通しているものがあると考えている。
お寺の取り組みもいこっとの取り組みどちらも新しいコミュニティをつくるという動き
コレクティブハウスを考えるときに江戸時代の長屋が例えに出されるように、昔は私有と公共って境界が曖昧であったのではないだろうか。
現代は縁は切れていくばかりで自然に生まれにくくなっている。
人と人、人と自然といった様々なつながりが分断されている
今までは「縁」は自然発生的に生まれていたけど、これからは意図的につくっていくことが求められるのだと思う
つながりをつくるということを考える際にソーシャルネットワークの考え方が参考になる
ソーシャルネットワークが縁を結ぶコストを劇的に下げてしまった。運動に必要な社会は、運動しながら作れるという状況が現実になったのだ。
http://livedoor.blogimg.jp/dankogai/imgs/5/4/5436c428.png
そこで求められるのは、リーダーではなく「シーダー」
シーダーとは社会を変えるための種を巻き、ムーブメント、運動を起こすことのできる人という解釈でいいのかな・・・
こうやって意図的に縁を作り出し(このブログでは瞬縁と呼ばれている)、コミュニティを再生するような動きが大切になってくる
ちょっとずれてきたかもしれないけど最近考えていることと4月から考えていきたいテーマ
どうやって多様な人が集まる新しい形のコミュニティをつくることができるか