「貫徹の志 トーマス・ワトソン・シニア―IBMを発明した男」を読みました。
IBM(インターナショナルビジネスマシーンズ)を世界的企業にしたトーマス・ワトソン・シニア。
不勉強で、IBMの創業者を知りませんでした。
この超巨大企業をどんな哲学をもって創り上げたのかが気になり読んでみました。
丁寧に創業者ワトソンの生き方、執念、頑固、生きがい、企業とは何かという思想が書かれています。
単なるサクセスストーリーではなく、経営とは何か?を深く考えさせてくれる本です。
IBMの社訓には「個人の尊重」があるようです。
この言葉だけ切り取ればものすごく当たり前の言葉ですが・・・
その思想の背景を本書から読み解くことができます。
ワトソンが「人材」に関して社員に何度も伝えたというストーリー。
ワトソンは人材こそすべてだと語り続けていたそうです。
ワトソンは、自分が何を望んでいるのかは明快に示し、その哲学を社内に広めていったと書かれています。
自分の哲学や思想をストレートに伝えること。
時に傲慢だと思われながらも、これができるリーダーの存在の大切さがわかります。
ガースナーがIBMの立て直しをする上で一番大切にしたのは、ワトソンの思想を取り戻すことにあったそうです。
IBMという巨大企業を貫く哲学を築き、伝え続けてきたワトソンのマネジメントの偉大さを感じます。
こちらも読んでみようと思います。
ワトソンは技術者を採用しただけでなく、入社後も彼らから目を離さなかった。みなを研究所に集めて、二ないし三グループに同時に同じ課題を与えてしのぎを削らせた。
いち早く「データ処理」という呼称を使い、この分野への関心を深めていった。すでに五十代を迎えていたワトソンは、データ処理関連のアイデアを考えるのを楽しみとして、何か思いつくとそれを子飼いの技術者チームにまるで手榴弾のように投げつけた。
計量器事業やタイム・レコーディング事業では、IBMは世界一になれそうもなかったが、データ処理の分野であれば王者として君臨できるに違いない。
一九三二年一月一二日、年間総収入の六%近くに相当する一〇〇万ドルを通じて、民間研究所のさきがけとなる施設を設ける、と発表したのである。
(中略)
企業が業績低迷にあえぎ、アメリカ人の四分の一近くが日々の生活にも窮している時に、R&Dなどというすぐに実利に結びつくわけでもない代物に、一〇〇万ドルもの大金をつぎ込んだのである。
ノルマを一〇〇%果たしたセールスマンだけを、その年の会員として迎えるのだ。
現代の経営における、R&Dやセールスのモチベーション管理はIBM=ワトソンが創り出したものの影響を受けているようです。
Man=1人の人間として、創造的に働き、成果を出し続ける仕組みをつくること。
マネジメントとは何かということを考えさせられます。
ワトソンは当然ですが、ドラッカーと交流があったようで、ドラッカーもマネジメントを体系化する上でワトソンの思想に大きく影響を受けたのではないかと思います。
不勉強で、IBMの創業者を知りませんでした。
この超巨大企業をどんな哲学をもって創り上げたのかが気になり読んでみました。
丁寧に創業者ワトソンの生き方、執念、頑固、生きがい、企業とは何かという思想が書かれています。
単なるサクセスストーリーではなく、経営とは何か?を深く考えさせてくれる本です。
ワトソンの考える「人材に関して」
IBMの社訓には「個人の尊重」があるようです。この言葉だけ切り取ればものすごく当たり前の言葉ですが・・・
その思想の背景を本書から読み解くことができます。
ワトソンが「人材」に関して社員に何度も伝えたというストーリー。
大きな紙に、肩書きを縦一列に書き出したのである。
メーカー(The Manufacturer)
ゼネラル・マネージャー(General Manager)
セールス・マネージャー(Sales Manager)
セールス担当者(sales Man)
サービス担当者(Service Man)
工場長(factory Manager)
工員(factory Man)
事務部門マネージャー(Office Manager)
事務担当者(Office Man)
次にワトソンは、「Man」だけを残してすべての文字を線で消した。こうした工夫をとおして、社内の全員が重要でしかも平等なのだと伝えようとしたのだった。「われわれはみな同じ人間である。・・・肩を組んで団結し、共通の利益のために汗を流そうではないか」
まるで、かつてのヒット曲を飽くことなく歌い継ぐポップスターのように、ワトソンは以後四十二年にわたって、社内の会議やスピーチで「人材とは」を説き続けた。
p61
ワトソンは人材こそすべてだと語り続けていたそうです。
肩書きは所詮肩書きにすぎない。ビジネスで中心的な役割を果たすのは、一人ひとりの人間である。ワトソンはしきりに咳払いをしながら、長々とこの話をした後、こう締めくくった。「結局のところビジネスは人の力にかかっているのだ」
ワトソンは、自分が何を望んでいるのかは明快に示し、その哲学を社内に広めていったと書かれています。
自分の哲学や思想をストレートに伝えること。
時に傲慢だと思われながらも、これができるリーダーの存在の大切さがわかります。
ワトソンの亡き後、IBMを立て直したガースナーの言葉
ガースナーがIBMの立て直しをする上で一番大切にしたのは、ワトソンの思想を取り戻すことにあったそうです。
IBMの日々をとおして痛感した。企業文化は数ある要素の一つではなく、これこそがすべてを決めるのだと。・・・突き詰めていけば組織とは、一人ひとりの価値を生み出す力が積み重なったものにほかならない。
IBMという巨大企業を貫く哲学を築き、伝え続けてきたワトソンのマネジメントの偉大さを感じます。
こちらも読んでみようと思います。
そのほか、ワトソン、IBMの偉大さを感じられるエピソードをメモ
技術者とのコミュニケーション
営業畑で育ったワトソンですが、ものすごい情熱をもって技術者とコミュニケーションをとっていたことが想像できます。ワトソンは技術者を採用しただけでなく、入社後も彼らから目を離さなかった。みなを研究所に集めて、二ないし三グループに同時に同じ課題を与えてしのぎを削らせた。
いち早く「データ処理」という呼称を使い、この分野への関心を深めていった。すでに五十代を迎えていたワトソンは、データ処理関連のアイデアを考えるのを楽しみとして、何か思いつくとそれを子飼いの技術者チームにまるで手榴弾のように投げつけた。
計量器事業やタイム・レコーディング事業では、IBMは世界一になれそうもなかったが、データ処理の分野であれば王者として君臨できるに違いない。
一九三二年一月一二日、年間総収入の六%近くに相当する一〇〇万ドルを通じて、民間研究所のさきがけとなる施設を設ける、と発表したのである。
(中略)
企業が業績低迷にあえぎ、アメリカ人の四分の一近くが日々の生活にも窮している時に、R&Dなどというすぐに実利に結びつくわけでもない代物に、一〇〇万ドルもの大金をつぎ込んだのである。
強いセールス組織をつくる
<ハンドレッド・パーセント・クラブ>を設けて、優れた成果を上げた従業員に、最高の栄誉として入会資格を与えようとしたのも、その一例である。ノルマを一〇〇%果たしたセールスマンだけを、その年の会員として迎えるのだ。
現代の経営における、R&Dやセールスのモチベーション管理はIBM=ワトソンが創り出したものの影響を受けているようです。
Man=1人の人間として、創造的に働き、成果を出し続ける仕組みをつくること。
マネジメントとは何かということを考えさせられます。
ワトソンは当然ですが、ドラッカーと交流があったようで、ドラッカーもマネジメントを体系化する上でワトソンの思想に大きく影響を受けたのではないかと思います。
「THINK(考えよ)」という文化
IBMのモットーであるTHINK
Think padってこの思想からのネーミングなのか・・・と知りました。