先週の金曜日に参加した構想日本のフォーラム〜孤住から集住へ 暮らし方から社会のあり方を問い直そう〜に登壇者として参加させてもらった。http://www.kosonippon.org/forum/backnumber.php
なぜ学びたいと思うのかを考えると「社会への違和感」を感じているからではないかな
学びが多すぎてまとまってないが、思うままに言語化してみる。
フォーラムに一緒に登壇させて頂いた、他人と暮らす若者たち (集英社新書)著作
大阪大学大学院助教・久保田裕之さんからの言葉が興味深かったので、以下の言葉
について考えてみる。
「私たちは第一の能力(個人の能力)を磨きすぎた結果、第二の能力(他者に支援を求めたり、交渉したりする力)が衰えてしまった。放置しておくと、本人だけでなく、社会問題になりかねない」と。
それではこの第二の能力はどうやったら育てることができるのか?
との質問があり、こう答えた。
久保田先生の言う第二の能力を育てるためにルールに依存しないことが
大切なのではないか。
このルールの例として月1回の入居者ミーティングをあげさせてもらった。
シェアハウスでは定番となる定例ミーティング。
もちろん月一度の入居者ミーティングは必要。
そこでの議論や全員が顔を合わせることによる安心感はコミュニティを支える。
そこでの議論や全員が顔を合わせることによる安心感はコミュニティを支える。
それでも、僕が月1回のミーティングを例に出したのは、ルール化されたミーティングよりも、日常性、即興性の高いコミュニケーションを大切にしていくことの大切さを感じているから。
ルールをつくらない=意図的に余白をつくる
全てを決めないことで、参加者に判断を委ねることができる。
あえてグレーな部分を残すことでコミュニケーションが生まれる。
余白がなければ、考えなくなり、他者への想像力は衰えていく。と僕は考えている。
構想日本のフォーラムは僕は何でシェアハウスに住んでいるんだっけ?
ということを改めて考える機会になった。
何でシェアハウスなのか?
あえて考えてこなかったこの問い。
自分の中で当たり前と感じていたシェアする暮らしをもう一度捉え直してみた。
自分の中で当たり前と感じていたシェアする暮らしをもう一度捉え直してみた。
一人だと寂しいから、居場所がほしいからシェアハウスに住みたい。もちろんその要素はあると思う。
ただ、シェアハウスをもっと広い意味で考えると、実用性のある生活のスキル、他者ととも暮らすスキル、社会で生きる力を身につける場として機能するのではないかと最近考えている。
僕は学びの場としてシェアハウスを選んだのではと。
なぜ学びたいと思うのかを考えると「社会への違和感」を感じているからではないかな
ゆとり世代と言われる僕ら世代ですが、意外と危機感を抱いているんです。
いまの社会の状況、他者との関係が希薄になっていくことetc
いまの社会の状況、他者との関係が希薄になっていくことetc
このままではいけないのではないかとどこかで感じている。
だから、僕たちは他者との関係性の中で、もう一度価値観を見つめ直している