9月21日、22日にRe:public(リ・パブリック)主催のRebound-社会境界のリデザインからイノベーションを生み出すに参加してきました。
大阪から新潟県の越後妻有へ!
東京経由で行くとホントに遠かった・・・
会場は小学校をリデザインして宿泊施設にしている「三省ハウス」
リ・パブリックさんは、以前にたんぽぽの家で行われたバウンダリーオブジェクト研究会のときにお世話になりました。
面白い人が集まること間違えないかな+境界のリデザインというテーマがバウンダリーオブジェクト研究会のあとも気になって仕方なかったので今回も参加させてもらいました!
イベントの詳細はこちら
http://rebound.re-public.jp/
当日レポートもまとまっています。
http://rebound.re-public.jp/report.html
30名近くの人が集まっていましたが、みなさん尖った方々ばかりで超刺激的な場でした。
多様なバックグラウンドを持つ人たちと話すことで自分のネットワークを変換する、自分の思考の外にでて考えるということができた2日間となりました!
自分をアップデートし続けるためには、こういう場で自分の思考の外に出ていく経験を積むことが大切なのだと、改めて感じました。
外でのディスカッションもいい感じでした。西日がキツかったけど。
社会境界のリデザインの大テーマをもとに3つのグループに分かれてディスカッション形式でプログラムが組まれていました。
①産官学のリデザイン
②ネオアマチュアの時代
③東京をとらえ直す
自分が参加した「ネオアマチュアの時代」のグループディスカッションを経て考えたことをまとめてみます!」※全くまとまっていませんが。
ネオ=新しい
アマチュア=職業ではなく, 趣味や余技として行う人。素人。愛好家。
???
新しい言葉だから、これでスッと理解できる人はいないはず。
コミュニティデザイナー 山崎亮さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E4%BA%AE
今回のゲストスピーカー 中台澄之さん
http://colocal.jp/topics/think-japan/local-design/20130606_19417.html
ネオアマチュアは、
・自分の価値観に従って既存の枠組みを変えるヒト
・常に新しい領域を創りだす人
・領域を横断して知識の転換(スキルの再解釈)ができる人
・偶然を受け入れる柔軟性と、自分の価値観に従うぶれない部分のバランスが取れている人
・他者との関係性の中で新しい発想を生み出せる人
・働き方を自分でリデザインする人
・組織の枠からはみ出す人
・肩書きからはみ出す人
・問題を自分事化して変化をつくる人
・30年後、50年後、その先を見据えた、生活の在り方、業界の在り方まで想像できる人
・あなたは何屋だと言われたときに説明ができない人
この解釈は自分が議論で出ていたネオアマ像と、自分のかってな解釈がごちゃごちゃになっています。。。
イノベーターや、シリアルイノベーターという概念と何が違うのか?という話も出ていましたがそこはモヤモヤとしたまま。
今までの専門性のあるプロでもなくて、趣味レベルでとどまるアマチュアでもない新しいプロなのでは?
などといった議論がありました。
詳しくはtogetterのまとめを!
http://togetter.com/li/722236
これも自分流に整理すると、ネオアマチュア的な人はこんな思考、行動をとっている。
===ネオアマチュアの人===
①異質なものとつながる
②まとまっていないアイデアの発信=フィードバックループ
※身近な人からのフィードバック→社会からのフィードバック
③ネットワークの変換
④異質なものとぶつかる
⑤形にし続ける=プロトタイプをつくる
※スイッチがもともと入るのではなくて、このプロセスでスイッチが入る
————
こういうネオアマ的な動きが結果的に・・・組織やコミュニティに派生すると
⑥社内モチベーションの向上
⑦内発的モチベーション
※動く中でビジョンがリデザインされる。
といった流れが生まれてくる。
======
最初から決まった方向にまっすぐと向かうわけではなくて蛇行うねうね系思考。
ネオアマ的な人は、流動的であり、偶発生を受け入れて、異質なものと出会いながら変化していく人。
印象的だったのが、自分の価値観を他者に伝えるときに「わかりやすく伝えすぎない」ことが大切ということ。
綺麗な言葉を並べて理解してもらうことより、尖った言葉、今までの既成概念を覆すような言葉から議論を生み出すことが大切!
最初から受け入れられてしまったら、議論は起きず、変化も生まれない。
だから、②まとまっていないアイデアを発信し続けること
アイデアを自分の中だけでまとめない=綺麗な言葉にしすぎない
ってことが大切だよなと感じました。
変化を起こすためにやることは
伝わりやすく、受け入れられやすい言葉をつくることではなく、
議論が生まれるようば環境のデザインをすることなんだろうと感じました!
今回のリ・パブリックさんの合宿もゆるい感じではじまりましたが、このゆるさは、未開拓な分野の議論をするのに意図的に設計されていたのかも・・・とも思いました。
バシッと議題が決まっていると、どうしても議論の前にバイアスがかかるし、参加者同士の自由な発想から、思いもよらないアウトプットにジャンプすることは難しい。
ゆるさを意図的にデザインするということも、ワークショップや企画の場でも意識していきたい。。
みなさん、図式化うまいです。
合宿の最後の方では自分の思考はこの問いにシフトしていました。
ネオアマチュアは、Web、SNSの発達、クラウドファンディングなど個人が価値観を表現するために使えるツールの変化。
リーマンショック、東日本大震災など、不確実性のある中で生きていく必要があるという価値観の変化。
この2つの変化がある中で、個人の生き方、働き方が変わってきているということが前提としてあります。
ではでは、
自分の価値観に従って領域を横断できる環境は整っているのに、なぜ、みんなが創造性を発揮して、ネオアマ的な動きをとる状態になっていないのは何が要因なのか?
マズローが書いた完全なる経営のことをモヤモヤと考えてました。
帰ってから久しぶりに読み直した!
完全なる経営にもこんな問いがありました。
自分の仕事に置き換えると、マーケティングの領域って創造性が求められるし常に顧客に対して、自社に対して新しい価値を生み出し続けることが必要になる仕事だけど・・・
目標数値に縛られて身動きがとれなくなっていたり、縦型の組織構造の中で身動きがとれなくなっていたり
どこかに創造性を阻害する要因がある。
誰もがアマチュアリズムはもっている。
やりたいこと、こうありたいというは、やっぱりあると思います。
だとすれば、そのアマチュアリズムを引き出して、態度が変わる、行動が変わるような環境がらなにかを考えていくことが大切!
このような問いはグループの中でも問われ、
これが最終的に銭湯の話になっていったのです。。
グループの参加者に、銭湯の番台になりたい!という方がいたので。
銭湯を創造的になれる場として再定義すると、ネオアマチュアを生み出す場として銭湯が活用できるのではないか。
職場でできない、飲み会でもできない話を銭湯でならできる。
銭湯が誰もがもっているネオアマチュアの力を引き出す場として機能するのではないか?
という話に発展しました。
市民のネオアマチュアリズムを活かすことができる社会、環境とはなにか?
ここは、もう少し掘り下げていきたい。
ということに最終的にはつながります。
どんな働き方をして、自分の仕事をどのように定義して、誰とつながり、どんな変化を生み出していくのかという話。
議論を通じて、自分の仕事を無理に定義しなくていいということに気づきました!
思えばこの2年間くらいは、自分の専門領域を確立したい、定義してみたい欲求が強かったなと。
でも、そんなに定義する必要はないし、定義してしまったらその枠の中での思考に縛られてしまうんだろうなとネオアマチュアの議論を通じて感じました。
自分は◎◎のスペシャリストです!
と言いたくて仕方なかっただけでした。
その方が楽だし。
でも、何かを定義したとたんに、何か物足りなさを感じることはよくある。
デザイン思考とか、データサイエンティストとかもそうだけど、
言葉にされて、職種がカテゴリー分けされて、資格まで出てくると、何かもともとその仕事がもっている意味や価値がズレてくる
ということがあると思います。
ネオアマチュアの動きは、見積もりの中にのらない仕事なのではないか?と。
未開拓で、領域横断的な仕事で、アウトプットが最初から決まっているわけではないから、デザイン費用、ライティング費用みたいに見積もりにのりにくい仕事。
リサーチでお金が取りにくいというのも、似たような話なような気がする。
整理すると、
・形式知(明文化できる)のスキルでお金を得る人→プロ、専門家
・暗黙値のスキルでお金を得る人→ネオアマチュア
なのではないかな。
明文化できるような仕事は価格競争に巻き込まれていく。
ロゴデザイン、ホームページのトップデザインなんかが、クラウドソーシングで低価格で発注できる。ベトナムやタイなどで10分の1くらいの価格で発注できる。
形式化されると、システム化されて、誰でもできる作業に落とし込まれて、工数管理されて・・・という流れになる。
これから求められるのは、本質的なことを捉えて、よくわからないこと大切なことに時間を使える人、そこから変化の兆しをまわり野人にみせられる人なんだろうなと思います。
まとめようと思っだけど、まったくまとまらない。。。
当日の議論の内容はtoggetterにまとまっています。
ここまで書いたのは自分の主観がすごくまじっているので
こちらをしっかり見ていただいた方がいいかと。
http://togetter.com/li/722236
=====
大阪に帰ってきて嬉しかったのは、会社のメンバーにネオアマチュアのことを話したら、盛り上がったこと。
自分のアマチュア要素、価値観をどうすれば活かすことができるかってことは、誰もが考えているし、関心があることだということに改めて気づきました。
まだ自分の中でも整理しきれていませんが、
ネオアマ的な動きを意識しながら、変化をつくっていきたいなと思います!
最後のそれぞれのグループの発表。
山菜たくさん食べて健康的になったし、越後妻有の自然にも癒されました。
大阪から新潟県の越後妻有へ!
東京経由で行くとホントに遠かった・・・
会場は小学校をリデザインして宿泊施設にしている「三省ハウス」
リ・パブリックさんは、以前にたんぽぽの家で行われたバウンダリーオブジェクト研究会のときにお世話になりました。
面白い人が集まること間違えないかな+境界のリデザインというテーマがバウンダリーオブジェクト研究会のあとも気になって仕方なかったので今回も参加させてもらいました!
イベントの詳細はこちら
http://rebound.re-public.jp/
当日レポートもまとまっています。
http://rebound.re-public.jp/report.html
30名近くの人が集まっていましたが、みなさん尖った方々ばかりで超刺激的な場でした。
多様なバックグラウンドを持つ人たちと話すことで自分のネットワークを変換する、自分の思考の外にでて考えるということができた2日間となりました!
自分をアップデートし続けるためには、こういう場で自分の思考の外に出ていく経験を積むことが大切なのだと、改めて感じました。
外でのディスカッションもいい感じでした。西日がキツかったけど。
社会境界のリデザインの大テーマをもとに3つのグループに分かれてディスカッション形式でプログラムが組まれていました。
①産官学のリデザイン
②ネオアマチュアの時代
③東京をとらえ直す
自分が参加した「ネオアマチュアの時代」のグループディスカッションを経て考えたことをまとめてみます!」※全くまとまっていませんが。
ネオアマチュアとは
ネオ=新しい
アマチュア=職業ではなく, 趣味や余技として行う人。素人。愛好家。
???
リ・パブリックさんがつくった造語とのこと。
新しい言葉だから、これでスッと理解できる人はいないはず。
ネオアマチュア的な人で例に出てきた人は・・・
コミュニティデザイナー 山崎亮さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E4%BA%AE
今回のゲストスピーカー 中台澄之さん
http://colocal.jp/topics/think-japan/local-design/20130606_19417.html
自分の中でかってに解釈すると
ネオアマチュアは、
・自分の価値観に従って既存の枠組みを変えるヒト
・常に新しい領域を創りだす人
・領域を横断して知識の転換(スキルの再解釈)ができる人
・偶然を受け入れる柔軟性と、自分の価値観に従うぶれない部分のバランスが取れている人
・他者との関係性の中で新しい発想を生み出せる人
・働き方を自分でリデザインする人
・組織の枠からはみ出す人
・肩書きからはみ出す人
・問題を自分事化して変化をつくる人
・30年後、50年後、その先を見据えた、生活の在り方、業界の在り方まで想像できる人
・あなたは何屋だと言われたときに説明ができない人
この解釈は自分が議論で出ていたネオアマ像と、自分のかってな解釈がごちゃごちゃになっています。。。
イノベーターや、シリアルイノベーターという概念と何が違うのか?という話も出ていましたがそこはモヤモヤとしたまま。
今までの専門性のあるプロでもなくて、趣味レベルでとどまるアマチュアでもない新しいプロなのでは?
などといった議論がありました。
詳しくはtogetterのまとめを!
http://togetter.com/li/722236
ネオアマチュア的な動きってどんなのか?
ネオアマチュアの人の動きを、ゲストスピーカーの中台さんの話をもとにグループでまとめた。これも自分流に整理すると、ネオアマチュア的な人はこんな思考、行動をとっている。
===ネオアマチュアの人===
①異質なものとつながる
②まとまっていないアイデアの発信=フィードバックループ
※身近な人からのフィードバック→社会からのフィードバック
③ネットワークの変換
④異質なものとぶつかる
⑤形にし続ける=プロトタイプをつくる
※スイッチがもともと入るのではなくて、このプロセスでスイッチが入る
————
こういうネオアマ的な動きが結果的に・・・組織やコミュニティに派生すると
⑥社内モチベーションの向上
⑦内発的モチベーション
※動く中でビジョンがリデザインされる。
といった流れが生まれてくる。
======
最初から決まった方向にまっすぐと向かうわけではなくて蛇行うねうね系思考。
ネオアマ的な人は、流動的であり、偶発生を受け入れて、異質なものと出会いながら変化していく人。
印象的だったのが、自分の価値観を他者に伝えるときに「わかりやすく伝えすぎない」ことが大切ということ。
綺麗な言葉を並べて理解してもらうことより、尖った言葉、今までの既成概念を覆すような言葉から議論を生み出すことが大切!
最初から受け入れられてしまったら、議論は起きず、変化も生まれない。
だから、②まとまっていないアイデアを発信し続けること
アイデアを自分の中だけでまとめない=綺麗な言葉にしすぎない
ってことが大切だよなと感じました。
変化を起こすためにやることは
伝わりやすく、受け入れられやすい言葉をつくることではなく、
議論が生まれるようば環境のデザインをすることなんだろうと感じました!
今回のリ・パブリックさんの合宿もゆるい感じではじまりましたが、このゆるさは、未開拓な分野の議論をするのに意図的に設計されていたのかも・・・とも思いました。
バシッと議題が決まっていると、どうしても議論の前にバイアスがかかるし、参加者同士の自由な発想から、思いもよらないアウトプットにジャンプすることは難しい。
ゆるさを意図的にデザインするということも、ワークショップや企画の場でも意識していきたい。。
みなさん、図式化うまいです。
★人はなぜ創造し革新しようとしないのか。
合宿の最後の方では自分の思考はこの問いにシフトしていました。
ネオアマチュアは、Web、SNSの発達、クラウドファンディングなど個人が価値観を表現するために使えるツールの変化。
リーマンショック、東日本大震災など、不確実性のある中で生きていく必要があるという価値観の変化。
この2つの変化がある中で、個人の生き方、働き方が変わってきているということが前提としてあります。
ではでは、
自分の価値観に従って領域を横断できる環境は整っているのに、なぜ、みんなが創造性を発揮して、ネオアマ的な動きをとる状態になっていないのは何が要因なのか?
マズローが書いた完全なる経営のことをモヤモヤと考えてました。
帰ってから久しぶりに読み直した!
完全なる経営にもこんな問いがありました。
真の問題は「何が創造性を育むか」ではない。だれもが創造的とは限らないのは一体なぜなのか、ということだ。人間の可能性はどこで失われてしまったのか。
自分の仕事に置き換えると、マーケティングの領域って創造性が求められるし常に顧客に対して、自社に対して新しい価値を生み出し続けることが必要になる仕事だけど・・・
目標数値に縛られて身動きがとれなくなっていたり、縦型の組織構造の中で身動きがとれなくなっていたり
どこかに創造性を阻害する要因がある。
誰もがアマチュアリズムはもっている。
やりたいこと、こうありたいというは、やっぱりあると思います。
だとすれば、そのアマチュアリズムを引き出して、態度が変わる、行動が変わるような環境がらなにかを考えていくことが大切!
このような問いはグループの中でも問われ、
これが最終的に銭湯の話になっていったのです。。
グループの参加者に、銭湯の番台になりたい!という方がいたので。
銭湯を創造的になれる場として再定義すると、ネオアマチュアを生み出す場として銭湯が活用できるのではないか。
職場でできない、飲み会でもできない話を銭湯でならできる。
銭湯が誰もがもっているネオアマチュアの力を引き出す場として機能するのではないか?
という話に発展しました。
市民のネオアマチュアリズムを活かすことができる社会、環境とはなにか?
ここは、もう少し掘り下げていきたい。
ネオアマチュア的な働き方について考える
ネオアマチュアを考えるということは、自分の仕事を、どう捉えるのか?ということに最終的にはつながります。
どんな働き方をして、自分の仕事をどのように定義して、誰とつながり、どんな変化を生み出していくのかという話。
議論を通じて、自分の仕事を無理に定義しなくていいということに気づきました!
思えばこの2年間くらいは、自分の専門領域を確立したい、定義してみたい欲求が強かったなと。
でも、そんなに定義する必要はないし、定義してしまったらその枠の中での思考に縛られてしまうんだろうなとネオアマチュアの議論を通じて感じました。
自分は◎◎のスペシャリストです!
と言いたくて仕方なかっただけでした。
その方が楽だし。
でも、何かを定義したとたんに、何か物足りなさを感じることはよくある。
デザイン思考とか、データサイエンティストとかもそうだけど、
言葉にされて、職種がカテゴリー分けされて、資格まで出てくると、何かもともとその仕事がもっている意味や価値がズレてくる
ということがあると思います。
仕事の見積もりについて
1日目の議論の中で、「見積もり」について面白い話がありました。ネオアマチュアの動きは、見積もりの中にのらない仕事なのではないか?と。
未開拓で、領域横断的な仕事で、アウトプットが最初から決まっているわけではないから、デザイン費用、ライティング費用みたいに見積もりにのりにくい仕事。
リサーチでお金が取りにくいというのも、似たような話なような気がする。
整理すると、
・形式知(明文化できる)のスキルでお金を得る人→プロ、専門家
・暗黙値のスキルでお金を得る人→ネオアマチュア
なのではないかな。
明文化できるような仕事は価格競争に巻き込まれていく。
ロゴデザイン、ホームページのトップデザインなんかが、クラウドソーシングで低価格で発注できる。ベトナムやタイなどで10分の1くらいの価格で発注できる。
形式化されると、システム化されて、誰でもできる作業に落とし込まれて、工数管理されて・・・という流れになる。
これから求められるのは、本質的なことを捉えて、よくわからないこと大切なことに時間を使える人、そこから変化の兆しをまわり野人にみせられる人なんだろうなと思います。
まとめようと思っだけど、まったくまとまらない。。。
当日の議論の内容はtoggetterにまとまっています。
ここまで書いたのは自分の主観がすごくまじっているので
こちらをしっかり見ていただいた方がいいかと。
http://togetter.com/li/722236
=====
大阪に帰ってきて嬉しかったのは、会社のメンバーにネオアマチュアのことを話したら、盛り上がったこと。
自分のアマチュア要素、価値観をどうすれば活かすことができるかってことは、誰もが考えているし、関心があることだということに改めて気づきました。
まだ自分の中でも整理しきれていませんが、
ネオアマ的な動きを意識しながら、変化をつくっていきたいなと思います!
最後のそれぞれのグループの発表。
わざわざ新潟に行った価値は十分にありました!
また来年もあるのであればぜひ参加したいです!
もっと、自分の枠の外に出てアップデートする時間を確保していこうと思います。
山菜たくさん食べて健康的になったし、越後妻有の自然にも癒されました。