天王寺〜動物園前、そしてココルームへ Go Westで釜ヶ崎を訪れたのは2011年の夏。 天王寺公園をぬけて通天閣を横に見ながら観光客で賑わう商店街を早足で歩く。 地下鉄の動物園前駅を通りすぎると、初めてこの地に立ったときのことを思い出す。 3年前の記憶を頼りに ココルーム へ向かう。 町を歩く人々の姿は、都市化が進む天王寺とは明らかに違う。 大阪特有のアーケードが見えた。「 動物園前一番街 」と書いてあるからここで 間違えないなと思い、少し歩くペースを上げて商店街に入る。 何に緊張していたのかわからないが、この町を歩くのはやっぱりドキドキする。 もしかしたら、自分はこのドキドキ感を求めていたのかと思いながらココルームに到着。 ココルームの奥には、こんな言葉が飾られている。この言葉が結構好きだ。 日本の三大寄場と呼ばれる町、地図にはない町「釜ヶ崎」 ココルームは釜ヶ崎で暮らす人たちにとって社会の接点となる居場所。 アート・表現を通じて、釜ヶ崎と世界をつなぎ、世界と釜ヶ崎をつないでいる。 代表である詩人の上田假奈代さんが迎えてくれる。 3年前とはスタッフの方々も入れ替わっていると聞くが、においや雰囲気は全く変わっていない。 アートNPOという肩書きをもつココルームですが、そんなキレイな言葉で片付けられるものではない。 釜ヶ崎の持つしんどさは、社会制度からこぼれ、家族関係からこぼれ、それでも生きてきた人たちの 孤独と寄る辺なさの連続だった、だが、そこに気づいたとしても、なす術もない。わたしたちはお互いの人生を取り替えることはできない。 この地域でアートNPOとして仕事を果たすために毎日カフェを開き、訪れる人を待つだけだった ちいさな表現の場をつくりつづけるしかなく、それがアートだ、芸術振興だと言っても信じてもらえないことも自明である状況がつづいていた。 こころのたねとして2011 釜ヶ崎・飛田・山王 上田假奈代さんがこの地に根付いてやってきたことを想像する。 コミュニティデザインという言葉を使いたがってしまう自分がバカバカしくなる。 言葉は目の前の人と真剣に向き合ったときに生まれてくる。 最初から言葉があって、後から人がついてくるわけではな