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7月, 2012の投稿を表示しています

東北復興ギャザリングin陸前高田

7月14日、15日と、一般社団法人ソーシャルビジネスネットワーク主催の復興ギャザリングに参加してきました。 震災後始めて被災地を訪れた。 そこで感じたのは、未来をデザインしていく上で東北がもっている可能性。 都市に暮らす僕たちは、どのように震災を捉え、東北と恊働し、そこから何を学び 最終的に、都市の暮らしをデザインしていくのかをもっと深く考えないといけないと 思っています。 僕が復興ギャザリングに参加する中で一番強く感じたのは 市民自らが陸前高田市の未来づくりに主体的に関わっているということ。 自分たちで故郷である陸前高田市を復興させようという強い思いをもち活動を行っていることを知る。 一人一人の市民の声からは、自分たちの故郷、文化、歴史、産業を自分たちの手で守っていくという強い思いがあった。 市民が中心となって知恵を出し合い、目の前の課題を一つ一つ解決していく活動の紹介からは、多くの希望を感じる。 東京では市民中心のデザイン、コミュニティデザインなど難しい言葉が使われているけれど 陸前高田には、その土壌がすでにある。 ギャザリングが終わり、東京に帰ってきて考えたのは「東北から継続的に関わり学びたい」ということ。 被災地に住む方をはじめ、参加者の皆さんと対話する中で感じた、人と人との関係性を取り戻そう、文化的な側面を見つめ直そう、市民が中心となって町をつくっていこうとする考えと取り組みには、今後の日本社会を考える大きなヒントが含まれているような気がしてしょうがない。 東京に住む僕たちは、東北のためにではなく、東北とともに日本を考え、復興に向き合う考え方や手法を学び、最終的には、自分たちの住む都市、町づくりに活かしていくという発想が大切になってくるのではないかと思います。そのために継続的に東北と関わり続けようと思っています。 気仙太鼓 耳で聞くのではなく腹で聞く

構想日本フォーラムから考えるシェアハウス

先週の金曜日に参加した構想日本のフォーラム〜孤住から集住へ 暮らし方から社会のあり方を問い直そう〜に登壇者として参加させてもらった。http://www.kosonippon.org/forum/backnumber.php 学びが多すぎてまとまってないが、思うままに言語化してみる。 フォーラムに一緒に登壇させて頂いた、他人と暮らす若者たち (集英社新書)著作 大阪大学大学院助教・久保田裕之さんからの言葉が興味深かったので、以下の言葉 について考えてみる。 「私たちは第一の能力(個人の能力)を磨きすぎた結果、第二の能力(他者に支援を求めたり、交渉したりする力)が衰えてしまった。放置しておくと、本人だけでなく、社会問題になりかねない」と。 それではこの第二の能力はどうやったら育てることができるのか? との質問があり、こう答えた。 久保田先生の言う第二の能力を育てるためにルールに依存しないことが 大切なのではないか。 このルールの例として月1回の入居者ミーティングをあげさせてもらった。 シェアハウスでは定番となる定例ミーティング。 もちろん月一度の入居者ミーティングは必要。 そこでの議論や全員が顔を合わせることによる安心感はコミュニティを支える。 それでも、僕が月1回のミーティングを例に出したのは、ルール化されたミーティングよりも、日常性、即興性の高いコミュニケーションを大切にしていくことの大切さを感じているから。 ルールをつくらない=意図的に余白をつくる 全てを決めないことで、参加者に判断を委ねることができる。 あえてグレーな部分を残すことでコミュニケーションが生まれる。 余白がなければ、考えなくなり、他者への想像力は衰えていく。と僕は考えている。 構想日本のフォーラムは僕は何でシェアハウスに住んでいるんだっけ? ということを改めて考える機会になった。 何でシェアハウスなのか? あえて考えてこなかったこの問い。 自分の中で当たり前と感じていたシェアする暮らしをもう一度捉え直してみた。 一人だと寂しいから、居場所がほしいからシェアハウスに住みたい。もちろんその要素はあると思う。 ただ、シェアハウスをもっと広い意味で考えると、実用性の

個人的なこと スリランカを思い出す

じゃあ、ぱれっとでインターンをする? 大学3年の6月にとっさにかけられたこの一言で 僕の人生は大きく方向転換する。 ソーシャルビジネスというキーワードはあったものの 障害者福祉に興味をもっていたわけではなく ただ当時の理事長の人柄に惹かれてインターンシップをはじめた。 サッカーしか知らなかった僕が、社会との接点を考え始めたのがこの頃 このままでいいのかと危機感を覚えながらも どうアクションを起こしていいのか悩んでいた僕を救ってくれたのは 文化人類学を教える大学の先生とNPO法人ぱれっとの当時の理事長 7月にインターンシップをはじめ8月にはスリランカへ行くことになる。 スリランカPlette 障害者は守られる存在 障害者が働くなんてとんでもない そう考えられていた仏教の国スリランカの福祉事情に挑んだ9年間 ぱれっとがスリランカに入り、障害者を雇用し、仕事を教え、マーケットで勝負できる商品をともにつくってきた。 障害者本人が変わり、親がわかり、村が変わったと最後に聞く。 障害をもつメンバーの一人は、スリランカPaletteで働く前は 家にこもっているだけだったけれど 働き、お金を稼ぎ、数年後にはバイクを買って通勤するようになったらしい。 スリランカは内戦があり、マーケットは厳しく事業継続は難しくなった。 その時の研修は それでも、スリランカの大手製菓会社が特例子会社をつくって 障害者雇用を行うことになった。 ぱれっとは社会を変えるための種を蒔いたのだなと実感して帰ってきた。 ソーシャルイノベーションとは何なのかを肌で感じた 僕がやりたかったのはこれなんだろうと直感したのがこの時だったなと振り返る。 世界には変えていかなければいけない現実がたくさんあって それはだれかが動かないと変わらない 自分に何ができるかわからないけど 変化を起こしていく一人になりたいなと漠然と考えていた。 僕が全く異質だと感じていた異国の地の障害者が 自分の仕事、コミュニティに誇りをもっている その光景が今でも目に焼き付いている 最近、自分がどこに向かっているのかがわからなくなってきた ので原体験を