漠然とソーシャルビジネスを捉えすぎているなと思う。なぜソーシャルビジネスなの?何のため?その背景にあるものって何なの?そもそもソーシャルって?ビジネスってなに?それを支えている経済はどうなっているの?もう少し深く考えていかなければいかない。
どのように現代社会を見るか。
資本主義、市場システムの限界に対してソーシャルビジネスという言葉の登場。いま、なぜソーシャルビジネスという言葉が注目されているのか。市場システムの限界とはどこにあるのか。私たちは今後、どのように資本主義経済と関わっていくべきなのか。このようなことを考えるときに、歴史を考え直す必要が出てくる。資本主義の根本的な部分に疑問を持たずに漠然と生きていくことは非常に危険なのではないだろうか。経済とは何か?私たちはどのような思想を背景に生きているのかを考える。これが、今後1カ月くらいのテーマになると思っている。本文中に「経済学の中心をなすのは、社会の歴史の秩序と意義を探求することである」とあるが、これから「歴史の秩序と意義の探求」を始めたいと思う。
「入門経済思想史 世俗の思想家たち」
第一章
本章では、経済学の歴史を形成してきた思想を巡り、中世における資本主義の誕生を読み解いていく。まず題名にある、世俗の思想家とはどのような人たちのことだろうか。
「(これらの人たちを結びつけたのは、彼らの人格でも経歴でも偏見でもなければ、彼らの思想でさえなかった。・・・以下略・・・彼らは思想体系の中に、人間のあらゆる活動の中でもっとも世俗的な行動である富への衝動を組み入れようとしたからである)」
アダムスミスは人間が社会の存立を維持するためには3つの方法があると考えていた。
1)伝統に基づいて人間社会を組織する⇒伝統
2)独創的支配という鞭を振るうことで必要な仕事がうまく行われるようにする⇒命令
3)各人は金銭的に見て自分にいちばん有利なことをしなさいという考えを根付かせる⇒市場システム
この3)の方法が一般的になったことが経済学の登場に結び付いた。
しかし、市場システムの考え方はそう簡単には社会に受け入れられなかった。
それまで何世紀ものあいだ、世界は伝統や命令という居心地のよいお定まりのやり方でうまくやってきたのである。
市場システムのなかで生きていることが当たり前だと思ってしまいがちだが、市場システムの観念が登場したのは最近の話であり、社会の存立を維持するための一つの手段でしかないのだ。
利得の概念、すなわち働く者は常にみずからの物質的運命を改善しようと努力してもよいし、また努力すべきだという観念は、ルネッサンス期と宗教改革期にちらほら見受けられるだけで、エジプト、ギリシア、ローマ、そして中世へと至る文明の流れを通して、大多数の中・下層階級にはまったく縁がなかった観念であり、東洋文明にいたってはほとんどといっていいくらい存在しなかったものである。
市場システムが登場する以前における、人生の目的とは、みずからの身分を高めることではなくて、それを‘維持‘することであった。市場システムが簡単には受け入れられなかった理由としては
1)利得の観念は教会からは批判的に見られた
2)仕事は伝統の一部であり、金を稼ぎ、その金で物を買うという目的のために仕事が行われたのではなく仕事そのものが目的であったと、以上2点の理由が挙げられている。
中世の世界では「市」はあっても「市場システム」は存在しなかった。社会は慣習や伝統によって動いていた。
市場システムの登場は画期的なことであり、著者は「経済の革命」という言葉を使っている。
この経済の革命の背景には
1)ヨーロッパにおいて国際的政治単位が徐徐に出現してきた。必要から基準化された通貨制度が生まれた。
(例)国家による軍需産業、王室お気に入り産業
2)イタリア・ルネッサンスの懐疑的、探求的、人道主義的なものの見方の影響で、宗教精神が薄れてきた。
また、プロテスタンティズムの台頭による労働や富に対する新しい姿勢の奨励があった。
3)都市の形成?物質的な側面において大きな変化があった⇒商人が力をもつようになった
技術の進歩 (例)複式簿記
4)科学的好奇心の勃興
これら4つの背景が挙げられ「生存の問題は習慣によってでもなければ命令によってでもなく、市場そのもので結び付いた」
(例)
・経済的努力が対象とするところは当然に国家権力である
・「ビジョン」が実践の基礎をなし、実践よりも優先されるという考え方
・人類が「孤立、貧困、不潔、粗暴、欠乏」といった状況に陥ることを防ぐには全能なる国家というものが必要
(ここらへんはポップズによるリバイアサンの影響を受けている)
・幸福な社会というものをつくるとするなら・・・大多数の物が貧困であると同時に無知である必要がある
バーナード・マンデウェル
・赤貧の中に社会悪を見出し、貧困に富を創出する力があるなどとは考えられない
市場システムを善として受け入れた社会は、市場システムを正当化するために新しい哲学が生まれていったのではないかと考えている。これは科学的好奇心の勃興と大きく関係しているが、「自分たちの住んでいる世界を理解する助けとなるよう、何としてもある種の知的な順序づけをしようとした」のである。
市場システムの登場⇒新しい哲学⇒アダムスミス「国富論」という流れから、人々は身の回りの世界を新しい目で見るようになった。
以上、雑に第一章「市場システムの登場」をまとめてみた。自分の中では整理できてきたなと感じている。今まで、この背景を知らずにソーシャルビジネスや起業を考えていた自分はどれだけ愚かだったのだろうか。ソーシャルビジネスの根っ子にあるのは資本主義であり、今後もこの背景を探っていきたい。
きょうはここまで
どのように現代社会を見るか。
資本主義、市場システムの限界に対してソーシャルビジネスという言葉の登場。いま、なぜソーシャルビジネスという言葉が注目されているのか。市場システムの限界とはどこにあるのか。私たちは今後、どのように資本主義経済と関わっていくべきなのか。このようなことを考えるときに、歴史を考え直す必要が出てくる。資本主義の根本的な部分に疑問を持たずに漠然と生きていくことは非常に危険なのではないだろうか。経済とは何か?私たちはどのような思想を背景に生きているのかを考える。これが、今後1カ月くらいのテーマになると思っている。本文中に「経済学の中心をなすのは、社会の歴史の秩序と意義を探求することである」とあるが、これから「歴史の秩序と意義の探求」を始めたいと思う。
「入門経済思想史 世俗の思想家たち」
第一章
本章では、経済学の歴史を形成してきた思想を巡り、中世における資本主義の誕生を読み解いていく。まず題名にある、世俗の思想家とはどのような人たちのことだろうか。
「(これらの人たちを結びつけたのは、彼らの人格でも経歴でも偏見でもなければ、彼らの思想でさえなかった。・・・以下略・・・彼らは思想体系の中に、人間のあらゆる活動の中でもっとも世俗的な行動である富への衝動を組み入れようとしたからである)」
アダムスミスは人間が社会の存立を維持するためには3つの方法があると考えていた。
1)伝統に基づいて人間社会を組織する⇒伝統
2)独創的支配という鞭を振るうことで必要な仕事がうまく行われるようにする⇒命令
3)各人は金銭的に見て自分にいちばん有利なことをしなさいという考えを根付かせる⇒市場システム
この3)の方法が一般的になったことが経済学の登場に結び付いた。
しかし、市場システムの考え方はそう簡単には社会に受け入れられなかった。
それまで何世紀ものあいだ、世界は伝統や命令という居心地のよいお定まりのやり方でうまくやってきたのである。
市場システムのなかで生きていることが当たり前だと思ってしまいがちだが、市場システムの観念が登場したのは最近の話であり、社会の存立を維持するための一つの手段でしかないのだ。
- 市場システム登場以前
利得の概念、すなわち働く者は常にみずからの物質的運命を改善しようと努力してもよいし、また努力すべきだという観念は、ルネッサンス期と宗教改革期にちらほら見受けられるだけで、エジプト、ギリシア、ローマ、そして中世へと至る文明の流れを通して、大多数の中・下層階級にはまったく縁がなかった観念であり、東洋文明にいたってはほとんどといっていいくらい存在しなかったものである。
市場システムが登場する以前における、人生の目的とは、みずからの身分を高めることではなくて、それを‘維持‘することであった。市場システムが簡単には受け入れられなかった理由としては
1)利得の観念は教会からは批判的に見られた
2)仕事は伝統の一部であり、金を稼ぎ、その金で物を買うという目的のために仕事が行われたのではなく仕事そのものが目的であったと、以上2点の理由が挙げられている。
中世の世界では「市」はあっても「市場システム」は存在しなかった。社会は慣習や伝統によって動いていた。
- 市場システムの登場
市場システムの登場は画期的なことであり、著者は「経済の革命」という言葉を使っている。
この経済の革命の背景には
1)ヨーロッパにおいて国際的政治単位が徐徐に出現してきた。必要から基準化された通貨制度が生まれた。
(例)国家による軍需産業、王室お気に入り産業
2)イタリア・ルネッサンスの懐疑的、探求的、人道主義的なものの見方の影響で、宗教精神が薄れてきた。
また、プロテスタンティズムの台頭による労働や富に対する新しい姿勢の奨励があった。
3)都市の形成?物質的な側面において大きな変化があった⇒商人が力をもつようになった
技術の進歩 (例)複式簿記
4)科学的好奇心の勃興
これら4つの背景が挙げられ「生存の問題は習慣によってでもなければ命令によってでもなく、市場そのもので結び付いた」
- 新しい哲学
(例)
・経済的努力が対象とするところは当然に国家権力である
・「ビジョン」が実践の基礎をなし、実践よりも優先されるという考え方
・人類が「孤立、貧困、不潔、粗暴、欠乏」といった状況に陥ることを防ぐには全能なる国家というものが必要
(ここらへんはポップズによるリバイアサンの影響を受けている)
・幸福な社会というものをつくるとするなら・・・大多数の物が貧困であると同時に無知である必要がある
バーナード・マンデウェル
・赤貧の中に社会悪を見出し、貧困に富を創出する力があるなどとは考えられない
市場システムを善として受け入れた社会は、市場システムを正当化するために新しい哲学が生まれていったのではないかと考えている。これは科学的好奇心の勃興と大きく関係しているが、「自分たちの住んでいる世界を理解する助けとなるよう、何としてもある種の知的な順序づけをしようとした」のである。
市場システムの登場⇒新しい哲学⇒アダムスミス「国富論」という流れから、人々は身の回りの世界を新しい目で見るようになった。
以上、雑に第一章「市場システムの登場」をまとめてみた。自分の中では整理できてきたなと感じている。今まで、この背景を知らずにソーシャルビジネスや起業を考えていた自分はどれだけ愚かだったのだろうか。ソーシャルビジネスの根っ子にあるのは資本主義であり、今後もこの背景を探っていきたい。
きょうはここまで