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3月, 2013の投稿を表示しています

グリーンネイバーフッド 米国ポートランドから学べる3つのこと

ポートランドというモデル都市発見 ポートランドというやけに魅力的に思えるモデル都市を発見しました。 都市に暮らす僕たちはどこに向かっていくのでしょうか? 東京をこんな町にしたいというビジョンは描けているのだろうか?   そんなことを考えているときに手にとったのがこの本。 地域ではなく、都市という視点で、どのように地域をつくるかを学ぶ上では非常に参考になると思います。     「グリーンネイバーフッド」とは著者が名づけたポートランドの都市生活像。 ポートランドはアメリカの西海岸に位置し 「全米で最も環境に優しい都市」 「 全米で最も美しいレストランが集まる都市」「ベストデザイン都市全米5位」 などに次々と選ばれ、注目を集めているそうです。  「アーバンネイバーフッド」 「クリエイティブシンカー」 「エコキュービリアン」  本書では3つのキーワードを軸にポートランドに住まう市民がどのようなライフスタイルを送っているのかが写真とともに紹介されています。 ポートランドの特徴は こちらのサイト にもまとまっていますのでご参考までに。 ポートランドから学ぶ3つのこと 自分なりに、ポートランドから日本の都市が学びたい3つのことをまとめてみた。 ①「都市づくりのための制度」都市成長境界線 オレゴン州の土地利用制度「都市成長境界線」というものがあります。 「オレゴンの利益は、土地の貪欲な浪費家たちから守らなければならない」とする、かつてのトム・マッコール州知事の演説に端を発して定められた制度がある。  この制度が根っこにあるから、自然と都市が共生し、自転車と徒歩を中心に暮らせコンパクトな町が形成されている。  町並みのデザインを統一するための法律が必要なのだろう。 都市成長境界線に関する詳細は こちらのサイト に。 ②デベロッパーの審美眼とビジョン 日本のデベロッパーは投資目的の土地利用を第一に考えて動いているイメージしかない。 デベロッパーが市民の声を聞き、100年後、200年後を見据えた都市づくり、まちづくりを行なっていかないといけない

持続可能性のある経営が新たな優位性をつくる

ハーバード・ビジネス・レビューの4月号は 持続可能性 新たな優位を求めて 持続可能性が競争優位につながる時代に、企業側はどのような考えをもって経営をしていく必要があるのだろうか?という視点をもって読んでみた。 ポイント ①情報公開  ②集合知の活用 この2つだと捉えている。  ①情報公開 賢明な情報開示が、健全な市場を築く ⅰ 行政側の動き アメリカ政府は「スマート・デスクロージャー」という呼称を採用し、その趣旨を「複雑な情報やデータを、コンピュータで読み取れる標準形式でタイムリーに公表して、情報に基づく購買判断を可能にする」こととした。 米国におけるオープンガバナンスへの取り組みの最新同行 http://e-public.nttdata.co.jp/topics_detail2_prev/id=765 ⅱ企業側の動き 情報はオープンにする。消費者に自社のサービス内容をわかりやすく説明することは今まで以上に必要になってくる。 世界最大級の小売りチェーンであるテスコは、ポイントカードを持つ顧客向けに、自身の購買履歴を簡単に照会できるサービスを計画しているという。 情報がオープンになり、消費者は簡単に比較検討できるようになることは、インターネット時代の特性として以前からも取り上げられていること。価格.comはその特性を活かした成功モデルであるし。 市場では情報がオープンになっていることを前提として、事業戦略をつくっていくことが大切になってくる。 ②集合知の活用  ポイントは、トップダウンの意志決定ではなく、多様な人を巻き込みながら、自社を取り巻くシステム全体を理解すること。 ⅰ NPO/NGOと民間企業がパートナーシップを組む 企業とNGOがパートナーシップを組んでいくこと。 コカ・コーラは国際的自然保護団体であるWWFとパートナーシップを組み、共同目標を公開している。 http://www.wwf.or.jp/activities/2008/10/644131.html 企業イメージの向上という視点だけではなく、持続可能性を考える際に知見をもっているNGO/NPOを巻き込みながらサプライチェーン全体の最適化を図ることが必

わかりあえないことから-シェアする暮らしのコミュニケーション-

もう日本人はバラバラなのだ。 だから、この新しい時代には、 「バラバラな人間が、価値観がバラバラなままで、どうにかしてやっていく能力」が求められている。 平田オリザ著 「わかりあえないことから」コミュニケーション能力とは何か に書かれている言葉が刺さった。 ♢言葉とコンテキスト 知的障害者とともにシェアする暮らし をはじめて2年。 「コミュニケーション」の在り方をもう一度考える。 発せられる言葉や書かれた言葉だけで理解しようとすることには限界がある。 なぜなら、その言葉には、その人の本当に伝えたいことは反映されていないから。 言葉ではなく、コンテキスト(言葉の裏にあるその人の本音)を読み取らないといけない。それは行動であり、表情であり、前後の言葉との関係性にあるのだと思う。 言語というものは、曖昧で、無駄が多く、とらえどころのない不定形なもの。 だからこそ「言語」に頼りすぎてはいけない。 ♢社会的弱者と言語的弱者 子供や障害者に代表される社会的弱者は、他者に対して、コンテキストでしか物事を伝えられない。 そして社会的弱者と言語的弱者は、ほぼ等しい。 それでは、社会的弱者と呼ばれる人と一緒に生きていくために、僕達に求められているのはなんだろうか? 平田オリザさんの言葉を借りながら3つのことを考えた。 ①異なる価値観と出くわしたときに、物怖じせず、卑屈にも尊大にもならず、粘り強く共有できる部分を見つけ出していくこと。 ②論理的に喋る能力を身につけるよりも、論理的に喋れない立場の人びとの気持ちをくみ取れる人間になること。 ③コンテキストを共有し、それぞれを理解し、なんとか助け合いながら生きていくこと。 こうやってコミュニケーションスタイルを見つめなおしてみると まだまだシェアする暮らしは工夫ができるし、可能性があると思える。 話しかける環境・話しかけやすい環境とは何かを考え少しでもコンテキストを共有しやすい環境を整えていきたい。育ってきた環境が違う多様な人が集まる家だからこそ、どうにかして分かり合うための工夫を続けていく。 ♢でもすべて分かり合う必要はない 最後に、平田オリザさんは、心からわかりあえるコミュニケーションを求めることを否定する。 「いやいや人間はわかりあえな